2018年5月25日金曜日

中原誠十六世名人の塩釜市民栄誉賞(1985年)

将棋マガジン1985年10月号、中原誠名人の「懸賞 次の一手」より。
 先日、郷里の塩釜市で名人獲得の祝賀会を催していただいたのですが、その席で市長さんより”塩釜市民栄誉賞”というのを頂戴しました。このような賞は川崎市の文化賞を戴いて以来二度目のこと。将棋が社会的に認められるという意味でもたいへん嬉しく思っております。 塩釜には修行で東京に出てくる小学生の4年まで住んでいました。小学校から見える海が今でも印象に残っています。魚一色の港町でしたが、最近はやはり、少しずつ変わってきているようですね。帰郷すると、必ず塩釜神社におまいりするようにしているんです。 * * * * *

 塩竈市で「塩竈市名誉市民及び市民栄誉賞に関する条例」が制定されたのが1985年。

制定されたタイミングで中原誠十六世名人は塩竈市民栄誉賞を受賞したことになる。(昭和60年7月21日推挙)

塩竈市民栄誉賞は現在のところ中原十六世名人が一人だけ。塩竈市名誉市民は元カメイ社長の亀井文藏氏(平成18年3月15日議決)。

名誉市民・市民栄誉賞(塩竈市役所)

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昔は塩釜市と表記されていたのがいつから変わったのだろう。
調べてみると、市の公用文以外は「竈」と「釜」のどちらを使用することも認められているらしい。
なるほど、昔から本当は塩竈市だったということだ。

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昔、塩釜に親戚がいて、中原名人誕生の翌年の3月、中原名人凱旋将棋大会が塩釜であるから来てみれば、ということで凱旋将棋大会に出たことがある。

中学の卒業式が終わった後の春休みの頃で、中学生なのか高校生なのか分からない時期。

中原名人を見た時は、宇宙の果てを見たような気持ちになった。
中原名人の初著書で揮毫入りの『将棋は決め手』も買った。

しかし、一人で仙台から塩釜へ行って夕方には心細くなるような情けない中学生だったので、大会の成績は散々だった記憶がある。

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この時は第一志望の高校に落ちて第二志望の高校に入学することになっており、気分的にはかなり沈んでいた時期でもある。
将棋に夢中になりすぎて勉強がおろそかになっていたのが大きな原因で、将棋は何も悪くなくて自分が一番の原因だということは痛いほど理解していたが、高校入学を機会に将棋をやめようと思っていた。

そういう意味でも、この塩釜での凱旋将棋大会は、自分の中では将棋との別れの儀式のようなものでもあった。
将棋を再開するのはそれから14年後のことになる。

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ちなみに、高校入試に際して、この年の正月に塩釜神社にお参りに行っている。
それで第一志望の高校を落ちてしまったので、自分が悪いことは百も承知していながらも、塩釜神社のご利益を疑問視してしまっていた。

しかし、その後のことを考えると、あの時に落ちていなければ高校時代に真面目に勉強をしようという気も起きずにダラダラと過ごしていた可能性が高く、かえって落とされて良かった、塩釜神社は間違っていなかったのだ、と高校2年の後半から思い始めるようになっていた。

今回、この記事を書くので鹽竈神社(塩釜神社)のご利益を確認したところ、「安産守護・延命長寿・海上安全・大漁満足・家内安全・交通安全・産業開発の神」とあった。
さすがに港町だけあって、海上安全と大漁満足が入っている。
受験合格は入っていない。

私が第一志望の高校を合格できなかったのは、人生の航行安全の方でのご利益だったのだろう。高校安全とも読める。


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